1.協会沿革
日本失明予防協会は、昭和60年(1985年)に厚生省(現厚生労働省)の許可を得て財団法人として発足しました
が、その前身は財団法人日本トラホーム予防協会であり、長い歴史を持った協会であります。 日本トラホーム協会は
その後幾つかの変遷をたどり、平成25年(2013年)に国の公益法人制度改革により、公益財団法人日本失明予防協会
として内閣府の認定を受けて現在に至っております。
明治 初期 ~ 後期 (1868年~1912年)
・当時の社会の衛生状態は悪く、眼の感染症、特にトラホーム注1) が蔓延し、それにより失明者が多数発生。
明治42年の徴兵検査では、トラホーム罹患者が23%以上に達しました。
注1) トラホームは別名トラコーマともいい、何度もこの感染症にかかると逆さ睫毛を呈し、目の表面に
傷を作りやがて失明してしまう病気。最近では先進国での新規発症はないが、アフリカや中近東諸国
では今でも重要な失明疾患の一つであります。
大正 初期 ~ 後期 (1912年~1926年)
・眼科医の有志が協議し、大正5年(1916年)日本トラホーム予防協会が発足。大正8年(1919年)トラホーム予防
法が制定公布され、翌大正9年(1920年)日本トラホーム予防協会が財団法人として認可を受け、本格的に
トラホームの治療と予防、撲滅運動を推進し、成果を挙げました。
昭和16年~20年 (1941年~1945年)
・第2次世界大戦のため、協会としての活動は一時停止。
戦 後 ~昭和50年 (1947年~1975年)
・戦後間もない昭和22年トラホーム予防協会活動の復興計画を立 案、さらに、昭和30年(1955年)日本トラホー
ム予防協会が再建され、本格的な失明予防活動を再開。失明予防活動の結果、昭和40年(1965年)代に入ると、
トラホームは激減し、それにひきかえて新しいウイルスによる眼病が世界的に流行したため、昭和50年(1975
年)に日本トラホーム予防協会を日本ウイルス眼炎トラホーム予防協会と改称し事業を拡大。多大な成果を挙げ
ました。
昭和 60年~現 在 (1985年~ 現在)
・日本社会においては高齢化が進み、いわゆる成人病で失明する人が増加、また、高度情報化時代に対応する
産業構造の変革は、単に病気の予防のみではなく、目の健康維持と職業に起因する疾病の予防という健康管理の
面に重点を移すこととなり、このため、昭和60年(1985年)に日本ウイルス眼炎トラホーム予防協会を日本失明
予防協会として改称し、組織を拡充強化。
また、目の衛生、失明予防事業に数々の業績を挙げてきた日本眼衛生協会を昭和62年(1987年)に発展的解消を
行い、日本失明予防協会に合併しました。
平成25年(2013年)に公益財団法人として内閣府の認定を受け、現在に至っております。
2.歴代の代表者
氏 名 等 | 職 名 | 就任期間 | 所 属 等 |
甲 野 ? | 理事長 | 大正5年4月~ | 元東京帝大教授 |
河 本 重次郎 | 会 頭 | 大正7年4月~昭和13年3月 | 元東京帝大教授 |
須 田 卓 爾 | 会 頭 | 昭和13年3月~昭和16年6月 | 元明々堂眼科院長 |
黒 沢 潤 三 | 理事長 | 昭和35年3月~昭和41年9月 | 元日本医科大学教授 |
中 泉 行 正 | 理事長 | 昭和41年9月~昭和51年9月 | 元(財)研医会理事長 |
桐 沢 長 徳 | 理事長 | 昭和51年9月~昭和55年1月 | 元東北大学教授 |
鹿 野 信 一 | 理事長 | 昭和55年2月~昭和61年4月 | 元東京大学教授 |
三 島 済 一 | 理事長 | 昭和61年4月~平成12年6月 | 元東京大学教授 |
小 暮 文 雄 | 理事長 | 平成12年7月~平成17年3月 | 元獨協医科大学教授 |
増 田 寛次郎 | 理事長 | 平成17年5月~令和5年6月 | 元東京大学教授 |
村 上 晶 | 理事長 | 令和5年6月就任~ | 順天堂大学特任教授 |